土曜日, 5月 29, 2010

Twitter広告って、どうよ。

日本のTwitterユーザーが今年中には1000万人を超えるという。今や青色吐息の広告業界がこの勢いあるTwitterでの広告機会を見逃すはずはない。最近では、TL内でのつぶやき広告配信「つあど」やアフィリエイトを付加した「つぶレコ」 の開始が発表され、Twitter内で是非の論議を呼んでいる。この議論には、個人からの発信をベースに成立しているTwitterの世界に、コマーシャリズムをどこまで持ち込むか、持ち込んで良いのか、という点で見解の相違がある。

米国Twitter社からは「基本的に第三者のTL内ペイドパブは禁止」の宣言も出されたが、個人発信なら良いとか、ハシュタグをつければいいとか、既に米国では"Tweet Up"(Twitter用のAdsense)"が開始されいるではないか等、どうも許容基準は依然としてグレーだ.。

Twitterを使う目的は人それぞれ。他人との緩いつながりを求める人もいれば、自分の欲しい情報を素早く収集したい人もいる。私はどちらかといえば後者だ。もっとも、Twitterを始めてみると、音信不通になっていた友人と再会したり、優秀な同業者の方々を発見したり、140文字で文章を書く意義を感じたり、有益な情報キャッチする以外にも面白い副産物があることを実感している。



マーケティング・コミュニケーションに関わる仕事をしている私にとって、当然、広告やPRの話は他人事ではない。Twitterを使って、企業と人々を効果的につなぐ方法も模索している。TLに煩いほど大量の広告が流れるのは考えものだが、「つあど」や「ついレコ」のように明確にコマーシャルだと区別できるものの方が、案外、健全なような気もするのである。
それよりも、詐欺的なツィートやPsychological trap (意図的にマインドコントロールをする)のような悪質なパブが混在する事の方に危惧を感じるのだ。

よく考えてみると、このような広告手法の善し悪しはリアルの世界でも従来から問われてきたことであり、即時的な炎上はないにしろデジタル世界と大差はない。広告・PR活動では発言力や人気のある人をEndorser(ブランドや商品を支持する人)として起用している。TVCFのようなものであれば問題にもされないが、商業的な起用なのか、偶発的なものかの見分けのつかないことが、時として火種になる。

例えば、「テストモニアル」。注目されている著名人等が自分で使ってみて良かったと他人に勧めるような手法だ。通常は企業から対価を得て、発信する。ビジネスだから本人が本当に使用しているのか否か、評価しているのか否かは別のところにある。
また、「プレイスメント」では、人気ドラマなどで目につく場所に売りたいブランドや商品が露出される。又は、コーヒーショップで頼みもしないクッキーが一緒にサービスされるということもある。
企業は、一般の人々には気づかれないように、ブランドや製品と自然に出会える場を自然なカタチで用意している。そんな仕掛けづくりを広告代理店は年がら年中、考えているわけだ。

私自身、広告代理店時代は大いなる仕掛け人を目指した。それでも一般の人々を騙すようなコミュニケーションは良しとはしなかった。「仕掛ける」のと、「騙す」のは全く違うことだから。
意識的な悪意があるか、ないか。たまに錯覚している広告人もいる。

私自身は、美味しくないものをオイシイとは言えないし、自分で効果を感じない健康食品を勧める嘘もつけないし、お金に困っている人に高金利の融資を勧めることもできない。広告ビジネスで、そういう仕事を引き受けなくても何とか報酬を得られる環境にいたのは幸せかもしれないが。

結局、Twitterの世界も同じなんじゃないだろうか。
哀しいかな、そんな様々な広告の舞台裏を見てきたせいで、著名人に限らず大量のフォロワーをもつ人の何人かが、年中、様々な商品のおすすめツィートをしているのを見ると、「ただで、つぶやいているのかなぁ? 1ツィートで高額のギャラをもらっているのかな?」等と猜疑心を抱いてしまうのも事実。
とは言え、そんなカリスマTwittererたちも品質の悪いブランドや製品に対して、平気で称賛を繰り返していれば、必ず「あの人はヘンだ」となり、淘汰されるのが世の常だ。


中にいる人々は、非常に冷静にツィートを見ている。詐欺的な甘い情報に、たまたま踊らされる人が出てきても、必ず「おいおい、違うだろ」という人が出てくる。周到な証拠を突きつけて凶弾する人もいるはずだ。


Twitter上では、フォロワーを増殖させたい人々の欲求を逆手にとって、スロットマシーンのようにリフォローを獲得する術を教授する教祖のようなおかしなビジネスを始めている人々もいる。これも同じように自然に淘汰されていくだろう。
人間の心や生命を傷つけるような犯罪的な広告やPRは当然あってはならないものだ。

そう考えると、今取りざたされているようなTwitter広告の規制については、大騒ぎをするようなものでもないと思える。ソーシャルな世界は、個人がメディアになれるとともに、多くの個人がパトロールする、かなりまともなコミュニケーションワールドである。

Twitterは自然の法則の上で成長し、社会的に不都合な情報は自然淘汰されていくに違いない。
私は、中にいる人自身の良識も試される、そんな世界なのではないかと思っている。

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