水曜日, 8月 18, 2010

がんばれ、桑田君!

今年の夏は、ひどく暑い。
逗子海岸の近くに住んでいる私も真っ黒に日焼けしていた学生の頃とは違って、この暑さの中で海に出かけようとは思えなくなってしまった。

今回のエントリーは「がんばれ、桑田君!」だ。桑田君とは、サザンオールスターズの桑田佳佑氏のことである。あんなに元気なミュージシャンが先日、食道がんの手術を受けたと聞く。
大きなダミ声とステージを端から端まで駆け回るエネルギッシュな姿に、年齢の陰などまったく感じさせない人だったのに。

実は、彼と私は小学4年生から中学1年生の2学期まで、茅ケ崎市の同じ小中学校で学んだ。
だから、私には彼がどんなに有名になろうと桑田君と呼ぶ以外に考えられない。特別に仲が良かったわけでもなく、クラスメートでもなかったけれども。

今でも小学校時代の桑田君の記憶は強烈に残っている。授業の休み時間になると、よそのクラスから我がクラスの悪ガキ達のところにやってきて、教壇の前で大騒ぎ。手振り足振りの大きなジェスチャーで暴れまくる。当時人気だったクレージー・キャッツか何かの真似をしていたのだと思う。とにかく明るくて、どこか魅力的な小柄な男の子。前髪を切りそろえた坊ちゃん刈りの桑田君は既に学内の人気者だった。

転校生だった私は、今では考えられないような痩せっぽちで眼ばかりが大きい子供だったから、「でめ」とか「でめきん」とあだ名をつけられて、ずいぶんと悪ガキ達にからかわれていたような気がする。

ある日、桑田君がやってきて、「今度の日曜日にサー、ボクの誕生日会やるんだよ。こない?」と誘ってくれた。
今となっては、どうして桑田君が私を誘ってくれたのか、私がどんな返事をしたのかも忘れてしまったのだが、心細い転校生には嬉しい掛け声だったに違いない。だからこそ、その言葉をずーっと覚えていたのだろうと思う。
結局、悪ガキ達に虐められるのではないかという不安で、彼のお誕生日会に行くことはなかった。今思えば、残念な事をしたものだ。

私は中学1年生の3学期に鎌倉に引っ越した。学校も転校したので、その後の桑田君がどうなったのかは全く知る由もなかった。

桑田君を再び見つけたのは、大学生になってからだ。当時の人気番組「ギンザNOW」の中であった。何気なくつけたTVから聞こえる、ノリの良い音楽とダミ声のふざけたような歌声。よく見ると、坊ちゃん刈りではなくなっていたが、見覚えのある顔に釘付けになった。テロップで桑田佳佑と名前が流れて、飛び上がった。まさか!直ぐに小学校の卒業アルバムを取り出して確認した。やっぱり、桑田君だ。
ヤマハのコンサートで優勝したばかりで、アマチュアからプロにデビューする頃だったと思う。その時に歌っていたのが、なんと「女もんでブギ」なんていう卑猥な歌詞の曲だから、ぶっ飛んでしまった。あの頃、彼の日本語とも英語とも解らない歌が日本の代表的なポップスになるとは、誰が想像しただろうか。

しかし、桑田君は次々とヒットを飛ばした。彼の描く湘南の景色は私にとっては日常のシーンの連続であり、茅ヶ崎の海岸通、江の島、稲村ケ崎、葉山トンネルなどなど、毎日見てきた景色が物語になっていった。彼が言うように、この地に育った人間は「湘南」という言葉は使わない。海岸は「ハマ」であり、稲村ケ崎は「イナムラ」、七里ガ浜は「シチリ」、サーフボードは「板」である。
自分たちの独特の仲間用語があり、その言葉遣いで地元の人間かどうかがすぐ分かった。





桑田君がミュージシャンとして駆け上がっていく時、私は広告代理店に就職し、音楽番組のスタジオやジャムジャパンのコンサートなどでニアミスを繰り返したが、再会することはなかった。
もっとも、今会っても、彼は痩せっぽちな転校生の女の子のことも誕生日会のことも覚えているはずもないのだけれど。

桑田君や私は日本経済の高度成長期に育ったイケイケ世代だ。同年代の多くの人々は、日本に住んでいる限り飢える人などいないと思い、給料は年齢と共に上がるものと信じ、海外の高級ブランドや目まぐるしいファッションに親しんだ第一世代でもあった。C調などと言われながらも友達と汗をかき、常に面白い事を探し、遊ぶのに忙しい毎日を送り、深刻な挫折に出会う事も少なかったのではないかと思う。
こういう幸せな日々が過ぎた今、日本経済の停滞から起こる失業や給料の減少や希薄な人間関係を目の前にして、初めて自分の力ではどうにもならない挫折感を味わっているような気がするのだ。

そんな我々のジェネレーションにとって、30年以上もの間、J-POPを牽引し、若い世代へとその音楽をつないでいく桑田君は元気印のシンボルのような存在とも言える。
彼の活躍は、私たちにも「まだ、イケルぞ!」とエールを送ってくれているような気がするのだ。

だから、今、私も彼にエールを送りたい。「桑田君、まだまだ、イケルぞ、がんばれ」と。




土曜日, 8月 07, 2010

コア・アイデアは、「時間戦略」で語れ。

広告会社の企画会議で、常に飛び出すのは「コア・アイデアに沿って…」という会話。
コア・アイデアとは、言うまでもなく、広告・販促キャンペーンを形成する戦略コンセプトであり、目標を達成するための施策のメカニズムや効果的な表現を考える根っこである。
TVCFの面白いギャグとか人気タレント、プロモーションで貰える賞品アイテムのような表現アイデアのネタではない。しかし、広告人でも開発途中で、頭の中が錯綜し、混乱する人もたまいる。
「やっぱり、Gagaだよ。Lady Gagaをカッコ良く使えれば、ゼッタイ話題になるよ!」みたいな事を真面目な顔で発言する。

TVを中心とするマス広告が主流だった時代には、これらのクリエイティブ表現のアイデアとコミュニケーション戦略のコア・アイデアが同じように扱われていたこともあった。当時は、何と言っても広告代理店が力を注ぎこむのはTVCFを中心とするマス媒体広告のクリエイティブ。クライアントも媒体費を含めて最も大きな広告予算を割いた。
コミュニケーション戦略とは広告戦略にすぎず、マス広告の媒体プランやクリエイティブブリーフに集約されてしまう。プロモーションやDMなどその他のコミュニケーションプログラムは「それに合わせて、よきにはからえー」的な展開が大勢を占めた。

売るコミュニケーションのプロ達も、「カッコイイ○○」とか、「グッとくる○○」とか、「スゴク素敵な○○」など、やけに形容詞の多い言葉でまとめられたクリエイティブブリーフに疑問を感じながらも納得しなければならず、結果、トータルコミュニケーションとして俯瞰して見ると、それぞれの活動のアウトプットがチグハグになることもよく起きた。

今では企業もコミュニケーション活動全般に「売れる効果」を期待するようになり、ターゲットも従来の属性に、Tribe[共通の趣味嗜好をもつ部族的な集団]と呼ばれるセグメントが加わった。さらに、WEB、モバイル、デジタルサイネージなどデジタルも含めて媒体は多様化し、情報をキャッチするディバイスも加速的に進化するようになり、ソーシャルグラフはますます複雑になっている。
当然、クロスメディア・コミュニケーションを開発するためのコア・アイデアも、全ての施策にパーっと網を放つような戦略的コンセプトに変わっている。

一旦発信されたブランドや製品の情報は、様々なタッチポイントを通過しながら、勝手に独り歩きするようになった。
受け手であるターゲットは自分の興味に合う情報だけを器用により分け、不要な情報はポイっと捨て去る。気に入った情報だけを持ち歩き、彼ら自身が自分流に発信する媒体と化した。
そのようなコミュニケーションの流れをシュミレーションしながら、思い通りに、目的地まで落とし込むのがキャンペーンのSTORYである。




STORYのシナリオは、生活者の刻々と動く時間の中で描かれなければならない。
ターゲットのインサイトとは習慣や流儀、学習など、彼らの生活24時間から育まれるものだ。
彼らが、いかにそのブランドや製品の情報を選択し、いかにその情報を抱えながら彼ら自身の時間を共に費やしてくれるのか、いかなる時にその情報を友人に話したくなるのか。そんな行動の流れが1つのSTORYになり、そのシナリオの善し悪しを決めるのがコア・アイデアである。

かつて、私の働いていた広告代理店では"Time is a new Currency"時間が新しい通貨である)というスローガンを掲げた事がある。当時はピンとこなかったが、今では、確かにコミュニケーションを考える時、「時間」こそがコア・アイデアを生み出す、大きな手掛かりなっていると思えるようになった。